『ユートピア』トマス・モア著 ベルギーで誕生した社会思想

ユートピアと聞いて、何を想像するだろうか? 平和で愛に溢れた理想郷? 全体主義の恐ろしい世界?

イギリスの思想家トマス・モアが、欧州大陸で人文主義者たちと交流するなかで生まれた『ユートピア』という本は、1516年にベルギーの学園都市ルーヴェンで初版が出版された。

ユートピアは世界のどこかに浮かぶ島国である。海で他の国々から隔絶され、独自の価値観、倫理観を持った民族が、ヨーロッパとは違う社会を創り上げている。その社会が優れているのか、もしくは理想ではあるが実現には存在しえないものなのか、船乗りラファエル・ヒスロデイがモアに語るユートピアの様子は、現代の我々にも考えるヒントを与えてくれる。そして、英国がブレグジットで揺れる今こそ、『ユートピア』の移民問題、貿易問題、外交姿勢についてチェックしてみるのも、一興である。(絵はトマス・モアの肖像画)

国家のあり方

ユートピアは立憲君主制と言える。征服者ユートパス王が最初にこの地を海で外界から遮断することから国づくりがはじまった。しかし、実際の国政は一般の市民が選挙で代表を選ぶことで運営されている共和制だ。

農業が重要であることも特徴的で、40人ほどのグループにまとまってひとつの農家を形成している。都会と田舎では定期的に人々が交代するので、田舎生活を2年行うと都会に戻り、同数の人間が田舎に送り込まれるシステムが設けられている。ただ、もし農業が好きなら、もっと長期間生活してもいい。農機具は共有で経験のあるものが街から来た新人を指導する。これは、かつてのソビエト連邦の集団農場を思い出させる。

30の農家ごとにフィラーチ(家族長)と呼ばれる役人が毎年選出される。この10人の家族長をまとめるのが主族長。これとは別に、市長が選出される。まず一般市民が4人の候補者を指名し、200名の家族長が4人からひとりを秘密選挙で選ぶ。基本的に市長は終身職。

6時間労働

ユートピア人は、自家製のシンプルな衣服を身にまとい、男女ともに農業や毛織物業、亜麻織業、石工職、鍛冶職、大工職などの仕事に従事している。一日の労働時間は6時間と決まっており、男女ともに働く。家族長の仕事は、そうした市民が怠けてさぼらないように監視することと、働きすぎてしまわないよう心を配ることにある。余暇の時間は家族団らん、ゲーム、知識の学習にあてられる。

貨幣のない社会

こうしてだれもが働くので、十分な食料があるし、料理は食堂で用意されている。都市に必要なものがあれば役人から無償でもらえる。ユートピア経済の特徴は、この無償システムにある。都市の市場には生産物が種類別に保管され、戸主は自分の家族に必要なものを、欲しいだけ持って行ってもいいことになっている。お金も担保も必要ない。そもそも貨幣が存在しないのだ。

奴隷と金

誤解のないように言っておくと、ユートピアは「理想郷」であり、「楽園」ではない。しかもその理想というのが、16世紀の時代に生きた人間が考えたものなので、21世紀の我々が当然と考える社会正義とは距離がある。

したがって、ユートピアには奴隷が存在し、社会の底辺の肉体労働に使役されている。ただし、奴隷になるのは主に犯罪者である。姦通罪をおかした男女も、奴隷の身分に落とされ、罪を償うことになる。奴隷の子供は奴隷になることはなく、身分制度というよりは、どちらかというと罰則制度のような印象すらある。

面白いのは、奴隷をつなぐ鎖に金や銀が使われていること。通常の国であれば金銀は尊ばれるはずだが、ユートピアでは金銀や宝石、真珠などが、つまらない争いの原因になることを見定め、そういったものは「汚いもの、恥ずべきもの」として考えるようにし、身分の卑しい奴隷を金銀で飾り立てる習慣がある。便器にすら金銀を使うのだから徹底している。

男女平等と婚前の儀式

ユートピアでは男女の権利がほぼ同等に認められており、労働や学問はもちろん戦闘すらも男女が共に参加する。

そして、彼らの結婚についても奇妙な習慣がある。それは、結婚の前に、お互いの裸を見せ合うことである。これが仲人の立ち会いのもと、厳粛に行われる。身体に不具合がないか、事前に確認するのだ。というのも、ユートピアは厳格な一夫一妻制であり、よっぽどの理由がないかぎり離婚も認められない。したがって、身体上の不具合は前もって確認してから結婚すべきであると考えられているのだ。

結婚と離婚を繰り返した主君であるヘンリー8世との確執から、最後には斬首の刑に処せられてしまうトマス・モアの宗教的結婚観も垣間みられるトピックである。

宗教勧誘は冷静に

ユートピアに滞在した船乗りラファエル・ヒスロデイはキリスト教信者であった。しかし、ユートピアはキリスト教を知らず、万物の父「ミスラ」という神を多数の人が信じている。ユートパス王は、宗教の自由を重んじ、信仰と布教の自由を許したが、布教にあたっては「平和的で冷静な態度」をもってしなければ、罪になると定めた。

諸外国との同盟

その優れた政治をお手本にしようと、近隣諸国はユートピアから役人を招き、数年契約で指導を受けるという。こうした友好関係にある国の民を、朋友(フェロー)と呼ぶ。

しかし、条約を取り交わしての「同盟」をユートピアは一切もたない。ここはブレグジットとの関わりで興味深い部分であるから、下に引用する。

「ここでは同盟は全く信頼も信用もおかれていない。締結するにあたって仰々しい、神聖な儀式が用いられた同盟であればあるほど、条文中の言葉のあら捜しから、それだけ早く破棄されてゆくのである。多くの場合、そういう曖昧な言葉がわざと巧みに文中に挿入されており、したがってどんな強固な盟約であっても、必らずそこにはぬけ穴があってそこからやがて同盟も信義も崩れてゆくのが普通である」

「単なる条文よりも溢れるばかりの誠意によってこそ、強く、固く一つに結ばれることができるのだ。これが彼らの信念なのである」

人口の増減に際しての移民政策

ユートピアは単一民族が暮す島である。ある都市で人口が増えた場合、過剰を他の都市に送る。全島で増えすぎてしまった場合は、各都市から人間を集めて、海外の荒れ地に植民地を形成する。先住民たちにも参加をうながすが、拒否されれば戦争も辞さない。

逆に、もし自国の人口が不足してしまった場合は、こうした外地の都市から市民を呼び戻して本島の過疎問題を解決する。人口不足については建国以来2回例があるばかりである。また、異国の民を大量に移民として受け入れるという話は本書のどこにも出て来ない。

貿易と金と傭兵

以上見てきたユートピアの統制のとれた社会は、生産活動を健全に機能させ、諸外国との貿易においても非常に有利な立場にある。輸入は鉄のみで、輸出品は食料や繊維、皮革など豊富にあり、常に貿易黒字で国庫に莫大な富が入ってくる。

しかし、金銀財宝は卑しいものと考えられているユートピアでは、それ自体には価値がない。財宝は戦争になったときに外国傭兵を雇い入れるために使用される。ユートピア人の血が流れることがないように傭兵を危険な戦闘に投入し、策略の限りを尽くして勝利を勝ち取る。


まとめ

本書『ユートピア』には、現状の否定、平等な社会に対する期待、キリスト教の教義への執念、強い政治と経済による他国に対する優越感が見て取れる。理想郷ユートピアは、モアの心のなかで英国の輝かしい未来を投影したものだろう。

彼自身が国際派の政治家であったにも関わらず、欧州連合という「国家を超越した存在」が20世紀に生まれるとは考えもつかなかったのだろうか。自国の役人が他国の指導に赴任するところまでは許せても、国家連合が自国より上の立場にあることは我慢がならないのだろうか。モアの構想はあくまでも「国家」が強い枠として機能している。そして今、主権の回復を叫ぶブレグジット離脱派や、諸国のEU懐疑派も、国家の自主独立を奪い返そうと声を荒げている。

内政では共有財産や男女同権、労働者の保護をうたい、一方の政治・外交・軍事の分野では帝国主義、孤立主義を標榜する。現代人の目には不思議なキメラ。モア自身もそれが分かっていたのか。書名の『ユートピア』は「どこにも存在しない場所」の意味である。

 

文中引用はすべて『ユートピア』トマス・モア著(平井正穂訳・岩波文庫)

18.apr.2019 by Tyltyl

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