チルチルのひとりごと 受難と情熱の間

欧州言語でパッション(passion)というと、一般的には「情熱」という意味にとらえられる。
一方で、今がその時期なのだが、キリストの「受難」もパッションと言われる。教会ではそのテーマ「受難節」にちなんだ音楽が奏でられている。それは、欧州の音楽家にとって「稼ぎ時」であるのがパッションの第三の意味と考えられなくもない。(もちろん冗談)

さて、この前の週末、ドライブ中に同乗の音楽家とパッションの話になって、彼が音楽関係者のあちこちから声をかけられた挙句、トリプル・ブッキングが2日分もあると豪語していたのが、ふと、パッションとは何か? どうして「情熱」と「受難」が同じ言葉でありえようか? という話題になった。

運転席でハンドルを握っていると、携帯で検索するのも難しい。今、思い出して語源を調べてみた。こういうときにOED(オクスフォード・イングリッシュ・ディクショナリー)が手元にないのは本当に痛い。図書館に行きなさいという神のお告げか。

ベルギーにいると、多言語になる。英語Passion、仏語Passion、蘭語Passie、ドイツ語Passionの語源は、ラテン語Passioが元となっている。これは「苦しみ」の意味だ。インド・ヨーロッパ語のPati/Patiorという言葉から派生しており、歴史的にキリストの受難について使われた語であるという。

語源に近いところを掘ると、「苦しむ、耐える、許す、黙認する、認める」というような意味合いが現れる。

ふーむ・・・。

キリストは、人類の愚かさと向き合い、侮辱に苦しみ、肉の苦しみに耐え、それでも人間を、しかも敵を赦し、認め、その矛盾を見据えつつも愛した。

今日、我々が無邪気に使っている情熱やパッションという言葉には、どうも言語に絶する苦難に耐えても遂行すべきものがあるという古い価値観が、欠落しているように思える。

「受難」と「情熱」の微妙ではあるが遠い距離感に疑問を抱いて調べた翻訳者の方のブログなどを参考にすると、15世紀くらいから「情熱」「愛情」の意味で英語では使用されるようになったとある。三省堂の『英語語義語源辞典』によると、14世紀にはギリシア語Pathos(=feeling, emotion)の意味の影響を受けて情熱の意味が入ってきたという。
http://www.wayaku.jp/blog/?p=577

 

難しい。人間が何世紀もかけて創り上げてきた言葉の意味を真に理解するのは、本当に難しい。

 

が、しかし、人間は何かにつまずいて苦しむ。それは昔も今も同じことじゃあないか。

苦しみ耐えてでも、そうしてまでも残しておきたい何かがあるという人間の気持ちを、パション「情熱」と意味をつなげてきたのだと考えるのが、素直な読み方である気がする。

逆に言うと、感動や興奮といった気持ちの高まりは、それを得られるまでに通過しなければならない苦難を恒常的に乗り越えてこそ、パッションというより高い次元の概念を達成できるのだ。

喜びと苦しみは1セット。ふう、すっきりした。

卑近な例で恐縮だが、肝臓の調子が悪くて苦しむにしても、美味しいワインはやめられない。そんな酒飲みこそが、パッションの本当の意味を理解できると・・・言えなくも・・・ないような・・・気が・・・しないでも・・・ない・・・ような・・・そんな・・・いや・・・はい・・・すみません・・・そう・・・かもしれない・・・。

20.mar.2019 written by Tyltyl