アントワープ大聖堂 O. L. Vrouwekathedraal Antwerpen

日本では『フランダースの犬』に登場するルーベンスの絵があることで有名。神への祈りの場でもありながら、フランダースの絵画、彫刻、金銀の美術品が収められた美術館ともいえ、企画展やイベントなどもよく開催される。

アントワープの大聖堂は、ゴシック建築の教会として、ベルギー最大の建造物である。一番高くそびえる北の塔は123メートル。内部の最大幅は118メートルある。

電車や車でアントワープに近づくと、何よりこの大聖堂の塔が最初に目に飛び込んでくる。

 一番の見所は、30代の若きルーベンスが描いた祭壇画である。『キリストの昇架』『キリストの復活』『キリストの降架』『聖母被昇天』の4点がある。

『キリスト昇架』

ピラトの命によりキリストがゴルゴダの丘で十字架につけられる刑を受ける受難を描いている。屈強な男たちが十字架を持ち上げる瞬間を切り取った構図で、光と影の演出も相まってダイナミックな印象を受ける。8年間イタリアでバロック絵画を学んだルーベンスの才能が存分に発揮された派手な絵である。1609年から翌年にかけて制作された本作は、元々は別の教会の祭壇画として描かれたものが、1815年にアントワープ大聖堂にもたらされた。

『キリストの復活』

キリストは死から3日後に復活したと考えられている。十字にかけられ埋葬されたのが金曜日。安息日が終わって次の週のはじめの日、早朝に墓が空っぽになっていることが分かった。聖書にはキリストが墓から出てくる記述はないが、ルーベンスなど後世の画家はドラマチックな復活シーンを絵画で表現している。

この絵は前述の『昇架』の後の時期で1611年から翌年にかけて、アントワープの印刷会社プランタン=モレトゥス家の依頼で、墓所に設置されるために製作された。

 『キリストの降架』

十字架の上で死んだキリストの亡骸は、お金持ちの弟子ヨセフが総督ピラトに交渉して引き渡してもらうことになる。キリストの背後で、遺体を包むために用意したきれいな亜麻布を手にしているのがヨセフ。

その脇で、キリストに手を伸ばす婦人が聖母マリア。赤い衣をまとった若い男性は弟子ヨハネ。画面の端には、クロパの妻マリアと、マグダラのマリアが描かれている。

ルーベンスは、『昇架』のときに較べて、いくぶんか穏やかな光をあてることで、悲劇を厳かなトーンでまとめている。とはいえ、大画面に斜めに配置されたキリストの体と、8人の登場人物の動きはダイナミックなバロック芸術そのものである。

『聖母被昇天』

聖母マリアは臨終に際して、12使徒と3人の女性に見守られながら、天にあげられたという伝説がある。聖書には載っていないが、17世紀ルーベンスの時代には盛んに描かれた画題である。

天使からバラの冠をさずかろうとしているマリアは、若い女性として描かれ、天に向って軽やかに上昇していく。

1625年から翌年にかけて製作され、聖母マリアを守護聖人とするアントワープ大聖堂の祭壇画として約400年、崇められてきた。

ネロとパトラッシュの悲劇

『フランダースの犬』最終回のラストシーンの舞台が、この大聖堂である。画家を夢見るネロは、死ぬ前に巨匠ルーベンスの絵を見ることができる。詳しくは以下のページにまとめた。

リンク:『フランダースの犬』ネロとパトラッシュ(青い鳥の記事)

アルブレヒト大公とイザベラ大公妃のステンドグラス

右側に見える十字架に向かってひざまずき、祈りを扠さがているのがスペイン領ネーデルラント君主のアルブレヒト大公と、その共同統治者である大公妃イザベラ。それぞれ背後に立っているのは彼らの守護聖人である。

ルーベンスが母の危篤をきっかけに8年間のイタリア修業を終えてアントワープに帰ってきたのが1609年。この年の7月に、ルーベンスはアルブレヒト大公夫妻の宮廷画家となる。ブリュッセルの宮廷ではなく、アントワープのアトリエで活動することと、他の顧客からも注文を取ってよいという好条件が与えられた。タイミングよく、ネーデルラント諸州が独立を求めて戦っていた八十年戦争(1568-1648)の最中にあって12年間の休戦の最初の年であり、平和を謳歌するアントワープを拠点にルーベンスは結婚、自邸の建築と充実した日々を過ごすことになる。

 シュヘイヴェン・オルガン

巨大なオルガンは、彫刻の施された外側のケースは1657年のもの。中身は1891年にブリュッセルの高名なオルガン製作者ピエール・シュヘイヴェン(Pierre Schyven)による。4段の鍵盤、90ストップに5770本のパイプからなる。

カリオン

カリオンは49のベルが使われている。音が出るベルのなかでも、1507年製造のカロルス(Karolus)という名前のものが一番重く6434キロもある。

歴史

大聖堂の起源は10世紀にさかのぼる。最初は聖母マリアを称える小さな礼拝堂だったが、1124年に小教区設立後にロマネスク様式の教会になり、1350年から1520年の長い期間を経て大きなゴシック様式の教会になった。1559年にアントワープ司教区が設立され、教会は大聖堂に格上げされる。

長い歴史のなかでは災難に見舞われることもあり、1533年には大部分が火事で消失、1566年と1581年には偶像破壊活動で被害を受け、1794年にはフランス革命軍によって略奪、破壊された。

紆余曲折を経て、現在の姿になった大聖堂だが、基本はブラバント・ゴシック建築。1585年からアントワープがスペインの支配下にあった際にはバロック様式の調度品が取り入れられ、18世紀末から19世紀初めにはネオゴシック様式の内装が多く取り入れられた。近代に入ってからは年間150万ユーロ(1億円弱)ほどメンテナンスに予算をかけて美しい大聖堂を維持している。毎年32万人の観光客が訪れるが、入場料は主に維持費にあてられる。

住所
Groenplaats 21, 2000 Antwerpen

オープニング時間
月~金曜 10~17時
土曜 10~15時
日・祝 13~16時

拝観料:一般6ユーロ、学生および60歳以上4ユーロ、12歳以下の子供無料

 

*ミサの時間はサイトを確認のこと。日曜、祝日の朝には聖歌隊やオルガンが登場する。

個人、団体向けのガイドツアーもある。詳細はサイトで確認のこと。夏は英語など複数言語のガイドがある。

 

公式サイト(英語)

 

©Visit Flanders