エグモント伯 Comte d'Egmont

エグモント伯(Lamoral d'Egmont、1522 - 1568)は、神聖ローマ帝国のカール5世、その後を継いだフェリペ2世に仕えた貴族である。スペインの圧政に対抗し毅然とした態度を示し、死をも恐れなかった郷土の殉死者としてベルギーでは尊敬される人物である。

16世紀当時のベルギーとオランダは、スペインを頂点とする神聖ローマ帝国のネーデルラント属州という立場にあった。

カトリック教の強いスペインに対して、ネーデルラントでは宗教改革によってプロテスタントが誕生し、教会の聖像を破壊するなど社会不安が広がっていた。

史実上のエグモント伯は、旧教側の支配者であるスペインと、新教側の地元の民衆らとの間で苦労したようである。彼自身はカトリック教徒であり、あくまでも属州に対する高い税など支配政策に反対という立場だったからだ。

しかし、強権的なアルバ公爵が派遣されると、エグモント伯は同志のオルヌ伯(フィリップ・ド・モンモランシー)とともに逮捕され、処刑の命令がくだされる。

エグモント伯は1568年6月5日に、45歳の若さでブリュッセルのグランプラスで斬首刑に処せられた。

ドイツの文豪ゲーテ『イタリア紀行』

言わずと知れたドイツを代表する文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe、1749 - 1832)は、各方面への深い教養、政治の世界での活躍、そして『若きウェルテルの悩み』から大作『ファウスト』に至るまでの文学者としての顔を持つ「万能の天才」といえる。

その超エリートであるゲーテも、ヴァイマル公国での政務に疲れたのか、恋愛関係にあったシャルロッテ・フォン・シュタイン夫人との関係がこじれたのか、突如、かねてから憧れていた南国イタリアに旅立つ。1786年9月、文豪37歳のときだった。

ゲーテが旅行中に書きづつった日記や、友人に宛てた手紙をまとめた『イタリア紀行』というエッセイが残されており、もちろん岩波などから日本語訳になって出版されている。読むと、北の学者が南の国で、美しい風景や珍しいものに触れ、新しい感性が触発される様子がわかる。ゲーテは鉱物や植物の観察に熱中しつつも、政治活動中は途絶えがちだった文学作品の制作も再開している。

そこで生まれたのが戯曲『エグモント』だ。

ゲーテ作品(1788年)では、16世紀のエグモント伯(1522~1568)が、スペインの圧政に不屈の精神を発揮し逮捕され、その愛人クレールヒェンが毒を煽って自死してしまう悲劇が描かれている。さすがにイタリアで書かれたのだから、政治宗教の闘争劇にもロマンスの香りがなければならない。

ベートーヴェン作曲の「エグモント」序曲

ゲーテが書いた作品について、1809年にウィーン宮廷劇場がルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven、1770 - 1827)に作曲を依頼した。ベートーヴェンは、尊敬するゲーテの作品とあって奮起し、その年から翌年にかけて作曲を行った。情感あふれる勇壮な曲に仕上がった。

現代のクラシック音楽の世界では、序曲を独立して演奏することが多い。

ブリュッセルのサブロン広場(プチサブロン)には、エグモント伯とオルヌ伯の銅像が立てられている。

ゲーテとベートーヴェンという天才二人によって歴史に深く名を刻まれた地元のヒーローは、今もベルギーの人々を見守っている。