アンビオリクス カエサルのローマ軍に立ち向かった蛮族の王

「ベルギー史上、最初の反逆者」その男の名前はアンビオリクス(Ambiorix)。ライバルは古代ローマ帝国の礎を築いた神君ユリウス・カエサルである。

現在のベルギー東部、リンブルク州およびリエージュ州のあたりに縄張りをもつエブロネス族の王、アンビオリクスはカエサルの書いた『ガリア戦記』の第5、6章に登場する。ガリアでの戦いにおいてローマ軍に最大の打撃を与え、絶えずゲリラ戦をしかけて彼らを苦しめ、ついに捕まることがなく逃げおおせた「蛮族の王」。

アンビオリクスと紀元前のベルギーについて知るには『ガリア戦記』は非常に有用で情報量も多い。カエサルの時代、ガリアとは現在の地域としてはフランス西部からベルギー・オランダ・スイスまでと広く、暗い森に包まれ、数多くの部族が対立する「未開の」土地だった。

分析家カエサルの記述。「最も強いのはベルガエ人である」。「文化教養から遠く離れているし、商人もめったにゆききしないから心を軟弱にするものが入らないのと、レーヌス河のむこうのゲルマーニー人に近いのでそれと絶えず戦っているためである」。もちろん、ベルガエ人こそ現在のベルギー人である。

 

カエサルのガリア遠征は紀元前58年からはじまり、51年まで続く。事件が起きたのは旱魃の影響で農作物の収穫が少なかった54年の冬のこと。不穏な空気を察して、通常であれば一カ所に固まって冬営するローマ軍が、この冬に限って8カ所に分散して冬営地を築いた。複数の部族を細かく監視するためである。

ローマに恭順を示し、冬営地に食料を運び入れもしていたエブロネス族。その監視には軍団長のサビヌスとコッタが任命されて、冬営の準備が進められていた。しかし15日目、木材の調達に出かけていたローマ兵が襲撃され、その後エブロネス族が大挙して陣地に押し寄せてきた。それでもローマ軍はすばやく防御に転じて、彼らの軍事拠点の頑強さが発揮される。

 

さすがに攻めあぐねたアンビオリクスから講和がもちかけられる。アンビオリクスがローマ側の使者に語った「言い訳」を『ガリア戦記』から引用しよう。

「告白するが自分に対するカエサルの好意には深く感謝している。カエサルの工作で自分は隣りのアトゥアートゥキー族に払っていた貢ぎ物から解放され、自分の子と兄弟の子はカエサルによって送還された」

「陣地襲撃の行為は自分の判断や意欲によるものでなく、部族のものにせがまれてしたことで、自分の支配もこんな有様で、自分が一同に対するのと劣らず一同もまた自分に対して権利を持っている(略)自分の部隊でローマ軍に勝てると思うほど自分は事情に疎くない、しかしこれはガリア全体の策謀なのである」

「しかしもうその愛国心も満足させられたから、今度はカエサルの好意に対する義務を与えよう(略)ゲルマーニー人の大部隊が雇われてレーヌス河を越えた、これが二日たつと現れるだろう、近くのものが感づかないうちに冬営地から兵を出して(略)行くがいい」

「エブロネース族の領地を安全に通過させることだけは約束するし誓いも立てて保証しよう、そうなれば自分は、仲間を冬営の負担から救うわけで部族のためになるし、カエサルの手柄に感謝することになる」

 

アンビオリクスの「ゲルマン民族が攻めて来る前に、別の冬営地に避難したらどうか?」という誘い文句は、ローマ陣営で真夜中までの議論を巻き起こした。軍団長コッタと多くの千夫長、百夫長は籠城を主張。軍団長サビーヌスは最寄りの軍団との合流を主張。お互い譲らずに会議は決裂した。

結局、平民出身のコッタが貴族出身のサビーヌスに譲り、夜明けに行動開始と決定する。しかしアンビオリクスとエブロネス族は、ローマ陣営の様子をつぶさに観察していた。夜中にゴソゴソと荷物をまとめ準備をしている、つまりローマ軍は冬営地を出る決定をしたらしい。すぐに出発するようだ。

 

朝日も差し込まない木々の生い茂る暗い森で、アンビオリクスは仲間と息を殺して待つ。部族の尊厳を奪い去ったカエサルの軍に復讐を果たす日がやってきた。ガリアの僧は、霊魂が不滅で死後も移り変わるものだと教える。死の恐怖を無視し勇気を鼓舞して闘うからこそベルガエ人はガリア最強と称される。戦利品は自分たちのものになるぞと約束して、アンビオリクスは兵士のやる気も引き出した。

ローマ軍が深い谷間の底に降りたのを確認すると、その瞬間、敵の間延びした列を、2隊に分けられたエブロネス族が両側から挟み撃ちにした。不眠で荷造りをしたローマの兵士たちは、突然の恐怖でパニックに陥る。明らかにローマ側に不利な場所での戦闘である。

指揮官サビーヌスはあわてふためき、状況を打開できない。この事態を想定していたほうの軍団長コッタは味方の兵士に荷物を棄てて円陣を作れと命令した。しかし、隊旗を離れて自分の貴重品を荷物に探しに行った兵士が次々に犠牲になる。いざ円陣を築いても、ローマ軍の突撃はたくみにかわされる。遠くから飛び道具で攻撃をしかけるアンビオリクス軍にローマ軍はじりじりと被害を深くしていく。

奮闘するコッタは投石を顔に受けて負傷。おじけづいたサビーヌスはアンビオリクスに使者を送り、命乞いをする。アンビオリクスは協議に応じると返答した。サビーヌスはコッタに一緒に命乞いをしようと提案するが、コッタはそれを拒否。「武装したままの敵のところに出かけてはいけない」。

サビーヌスは部下2人を従えてアンビオリクスとの協議に赴くが、武器を棄てさせられ、挙げ句の果てに殺害された。エブロネス族は勝利の閧の声をあげ、ローマ軍に襲いかかる。もう一人の指揮官コッタも他の兵士と一緒に戦死する。

ローマ側は一軍団(十個大隊)と補強に集められた五個大隊の計十五大隊が壊滅というガリア遠征で最大の災禍に見舞われた。戦死者は9000人。のちに報告を受けたカエサルは、大きな衝撃を受ける。「無力でとるに足らない部族」と思われていたエブロネス族の策略にまんまとはまって、味方の多くを失ってしまった。アンビオリクス討伐を強く意識した瞬間である。

 

一方のアンビオリクスは勝利後すぐに周辺部族の説得に駆け回っている。もともとガリアの諸民族は各々が独立しているため、一致団結して戦争をすることはない。しかし、アンビオリクスの快勝の知らせを受けて、6万の大軍を組織することに成功する。(ただしこの数字は誇張の可能性あり)次のターゲットは、ネルヴィ族の監視をするクインティウス・キケロ(キケロの弟)の冬営地だ。ローマ軍は6000人。

ほどなくしてキケロの冬営地に突然6万のガリア連合軍が襲来した。しかし、やはりローマの冬営地の守備は固い。10倍の兵力をもってしても、いっこうに撃破できない。ガリア軍は前回と同じ策略を指揮官キケロにしかける。「全ガリアが蜂起した、ゲルマン人が迫っている、カエサル他の冬営地も襲撃されている、他の冬営地に移動したらどうか?」そう言いながら、陣地から出たところを襲撃する魂胆である。

キケロの回答は「ローマ人というものは武装したままの敵からどんな条件でも受け入れるようなことはしない」であった。火のついた石や槍を投げ込まれても、キケロの兵士たちは必死に持ち場を守り勇敢に闘った。苦しい籠城をするキケロから救いを求める使者がカエサルのもとに何度も送られたが成功せず、ようやくネルヴィ族の奴隷を使って救援の知らせが届く。

カエサルの反応は早かった。素早く動くことが勝利の鍵と判断し、最低限の補給しかもたない精鋭7〜8000の兵を自ら率いてキケロの冬営地救出に駆けつける。戦略の神様カエサルは見事に10倍の敵を蹴散らし、キケロの軍団を救う。

このときのカエサルの勝利が、ガリア諸民族の勇気を打ち砕き、すべて組織的に計画的に進められるローマの植民化が進行していく。たくみな策略でローマ軍に大損害を与えた張本人であるアンビオリクスは、常に復讐のターゲットとして捜索されるが、ぎりぎりのところで逃げてしまう。不思議と『ガリア戦記』を書くカエサルの描写は淡々としている。

「何事においてもそうであるが、軍事においても運は大きい。騎兵が警護するものもなく準備もしていないアンビオリクスにめぐりあい、その一味に噂も通知もなかったのに現れたというのは、全く偶然のことであったが、アンビオリクスが周囲に持っていた武器を全く奪われて車も馬もおさえられながら死ななかったというのも全く大した運である。(略)闘っている間に、部下の一人がアンビオリクスを馬に乗せ、森に逃げこんだのである。こうして危険にさらされたのも逃れたのも全く運であった」

「アンビオリクスは森や峡谷の隠れ場所に逃れ、夜にまぎれて他の地域、他の場所へ向い、護るものといえば四名の騎士より他になく、これらのものに命を委ねていた」

こうしてアンビオリクスは、アルデンヌの深い森もしくはライン川を渡ってゲルマン族のもとに永遠に姿を消した。彼を筆頭として、ベルギーの歴史を見てみると「反逆者」が英雄に祭り上げられることが多い。地続きのヨーロッパ大陸はどこも時代によって勢力地図ががらりと塗り替えられる宿命にある。特にベルギーは欧州連合の主要機関が設置されるほど、「どの大国からも近い」便利な場所にある。結果として、より強い外国に支配されていた歴史も多い。

民衆は、侵略者の圧政に、勇気と知恵を振り絞って反抗するアンビオリクスのような人物を「英雄」として心にとめる。独立の誇りや人民のため、命をかけて抵抗する人への敬愛は、小国でこそ深く強くなっていくのかもしれない。

8.nov.2016 Tyltyl

 

参照:

『ガリア戦記』カエサル/近山金次訳(岩波文庫)
https://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-334071-X

『ローマ人の物語  ユリウス・カエサル ルビコン以前』塩野七生
http://www.shinchosha.co.jp/book/309613/

ベルギー政府サイト(アンビオリクスについて・仏語)
http://www.belgium.be/fr/la_belgique/connaitre_le_pays/histoire/avant_1830/prehistoire_et_antiquite/ambiorix

photo: ArtMechanic(写真はトンゲレンの街にあるアンビオリクスの銅像)