偉大な作曲家ベートーヴェンは「ベルギー人」?

クラシック音楽の三大Bといえば、バッハ、ベートーヴェン、ブラームス。

日本でも世界でもジャジャジャジャーンからはじまる「運命」の作曲家ベートーヴェン(1770-1827)は、学校の音楽室に乱れ髪にギロリと目を光らす天才の肖像画が飾られており、知らない人はいないだろう。交響曲「第九」の歓喜の歌は年末の風物詩であり、欧州連合の歌としても採用されている。

ドイツが誇る偉大な作曲家だが、ベートーヴェンの出自(ルーツ)がベルギーにもあることをご存知だろうか。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)という名前自体に注目してみよう。ゲルマン系の言葉に強い人なら一目瞭然だがvanという単語はオランダ語であり、ドイツ語ではvon、英語ではofに相当し、「~出身の」「~に所属する」という意味がある。それだけを見て、「ベートーヴェン家はオランダ系だった」と書籍に書いているのに出くわすと、ついつい調査不足を指摘したくなる。

ベートーヴェンの家系は15世紀まで遡ることができ、父方の祖先はベルギーのフランデレン地方の出身である。国境の線引は歴史とともに変化してきたが、現代の観点からすると、「ベートーヴェン家はベルギー系もしくはフランデレン系だった」という表現が正しい。

これについて、ベルギーの日本人社会の草分け、初代日本人学校理事長、佐藤澄雄氏が日本人会の会報に分かりやすくまとめた文章がある。先輩の残した遺産を紹介したい。

(以下、日本人会会報25号、副読本『私たちのベルギー』より抜粋)

巨匠ベートーベンの祖先は、ザベンテンの空港から、少しアントワープ寄りのカンペンフートと云う田舎町に、15世紀の終わり頃すんでいた「Jan Van Beethoven」だったということです。その5代あとに一家はルーヴァンに移り、その息子の代にメッヘレンに移りました。・(中略)・ベートーベン一家が、メッヘレンに移り住んで3代目の末っ子が音楽家で、ボンの宮廷歌手として、選挙候に招かれ、更に楽長に昇進、その孫が、かの有名な作曲家ベートーベンというわけです。日本のお寺には過去帳があって、いろいろと昔のことが分かりますが、欧州でも教会には、その教区の人達の出生、死亡の記録があり、このベートーベンの話も、各地の教会の記録によるもので多分まちがいないと思います。

因みにベートーベンとはBEET(蕪)、HOVEN(庭とか小さな畑)というフラマン語です。彼のサインは決して「VON」ではなく「VAN BEETHOVEN」であり、これもフラマン人のひとつの証拠と云えましょう。要するに「カブバタケ」さんということでしょう。…(後略)…

(引用以上)

つまり、文中ボンの宮廷歌手として招かれたのがベートーヴェンの祖父で、彼は未来の巨匠と同名でルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。その息子はヨハンで、アル中ながら自分の息子ルートヴィヒの優れた音楽の才能を見抜いて鍛えた人物である。一族がドイツに本拠地を移した結果、ドイツの血が優勢になって、大作曲家ベートーヴェン自身は、フランデレンの血が4分の1入ったベルギー人クウォーターと言える。

ドイツもオランダもフランデレンも、同じゲルマン民族だから、わざわざベルギー人なんて言わなくていいじゃないか、というのは議論が乱暴すぎるだろう。隣村ですら「外国」のような心理的距離を(今でも)感じる欧州人にとっては、微妙ながらもはっきりとした違いがそこにはある。ましてや、フランデレンの出自が記録で明らかになっているのに「オランダ系」とすり替えているのは、それが不注意としても、別の意図があるにしても、ベルギー在住としては許しがたい印象操作(!)に思える。

極端なところでは、第二次世界大戦中のナチスドイツがベートーベンは100%ドイツ人だとプロパガンダを張り、彼のフランデレンの出自を無視しようとした。しかし、これこそ我田引水の典型で、巨匠の才能を自国の手柄にしたい動機が働いたのだろう。

しかし、一族の音楽的ルーツという観点からすると、フランデレンの血を抜きに語ることはできない。優秀な声楽家だった同名の祖父と、幅広い楽器を弾きこなした父から受け継いだ技術、そしておそらく彼らのフランデレン音楽の伝統も、巨匠ベートーベンの名曲の数々のなかに織り込まれているからだ。